小さなNPOが小さな町へ、何か影響を与えることができるのだろうか。
3月3日、ひな祭りの日に最後の長期総合計画の審議会があった。
非営利組織が社会を変えるために、政策提言(アドボガシー)という方法がある。

約1年間に渡る計画策定への政策提言は成果を得ることができたのだろうか。
さんけんの長期総合計画後期計画へのかかわりを振り返る。

後期基本計画(案)と前期基本計画

(第二次安芸太田町長期総合計画は町の最上位計画で。前期・後期の5年で基本計画を策定し、具体的な施策を決める)

コトの発端は、仲の良い町内の事業者さんがさんけんにやって来たところから始まる。

「観光施策がまったく機能していない。役場に文句を言いにいっても効果がないと思う。だからさんけんに来た。」

2018年に安芸太田町観光協会が解散し、町の観光戦略を策定し実施する機関がなくなった。続く7月の西日本豪雨災害により、町内の観光客が激減し地域の観光事業者はみな困っていた。

三段峡も探勝路が崩れ、通行止めや土砂が残る箇所がまだあった。
さんけんは観光事業者ではないが、危機感は共有していた。


一緒に怒鳴り込むのは良い手だったかもしれないが、
私たちは行政と一緒に解決できる方法を探すことにした。
「町のやっていることを住民が理解して、一緒に実現できる方法を提案しよう」と事務局の意見で「第一回安芸太田の長期総合計画を読む会(2019年1月24日)」を企画した

企画準備をしていると、長期総合計画の後半5年の後期基本計画の策定を町が募集を始めた。後期基本計画策定のために「読み解く会」を始めたと思われているが、全くの偶然。

どちらかが通ればと、理事長と事務局長はで町民委員に応募した。
町民委員は自薦で応募。レポートを提出して審査の上選出される。
しかし定員3名のうち、応募が3人だったため、夫婦で任命という事態になった。


そもそも町の長期総合計画など、町民は存在すら知られていない。
もし参加しても、意見など聞き入れられないとも思われていた。
役場職員でも「読んだことない」という有様だった。

「作るのが目的の計画、作って終わりのいつものパターン」
そんなことをいう人もいた。

しかしながら、この計画は町の最上位計画。もっとも重要な計画。
町の施策の根拠となっている・・・・はずなのだ。

一回目の読み解く会チラシ。この頃は「読む会」だった。

一回目のワークショップは13人が参加した。
プレイヤーの多い町ではない。思った以上に集まったと思った。
グループリーディングで長期総合計画を6つのパートに分けて、グループで担当箇所を読み込み、互いに発表した。

ざっくり言えば
「粗さがしではなく、なんて書いてあるかを理解しよう」
そんなテーマだ。

みんなが感じたのは「耐え難いわかり難さ」だったように思う。
「いいことは書いてある。でも・・・」
でも・・・の後が言葉にならない。そんな難しさ。
「町の未来の計画を読んでも前向きになれない。」
「町の計画なのに、どうやって関わっていいかわからない。」
そんな声が聞こえた。

2回目のワークショップはぐっと参加者が減った。
「やはり難しいのかな。」
事務局がつぶやいた。会をやめようかと思った。
「成果がでなくても、やる意味はある」
参加の一人はそういった。

実は、この取り組みに行政は好意的だった。
「町の計画を知ろうとするなんて、絶対に嫌がられる」
なんて思っていた。考えたらすごい行政不信だ。

この後期計画は町の企画課の職員がコンサルタントに依頼せずに、行政間のワークショップを繰り返していた。
担当する職員は本気だった。「この町をかえたい。今回の計画は十分なものにならないのはわかっている。継続的に考える場を作り、5年後の次の計画まで視野にいれたい」そう話していた。

3回目のワークショップアは、町民7名と企画課の職員が3名参加して行われた。策定担当者ではなく、全員同じ町民として、後期計画へのアイディアを出した。

長期総合計画を読み解く会

町民委員になったことで、「読み解く会」出てきたアイディアや意見は町民審議委員の意見として審議会で提出していた。読み解く会の成果が後期計画で生かされる筋道ができていた。

そして12月6日の審議会で後期計画(案)が示され、審議会やパブリックコメントなどの意見を反映させ3月3日の審議会で改定案が示された。

「読み解く会」からの意見がどれだけ影響したのかを計る術はないが、この後期計画案は前期計画よりも多様な視点をもって作られていると感じる。

毎年の施策の外部評価の導入やSDGsの活用。エコツーリズム推進法、地域循環共生圏が記載され、生物多様性への記述が増えた。地域資源への学術的調査など自然資源にたいして商工観光課に生涯学習課が加わったのは、自然資源や三段峡が観光のみでなく、自然と文化遺産としてとらえる考え方の浸透があったのではないかと推察する。

前期基本計画では「三段峡」と書かれているのは1ヶ所のみであったが、後期基本計画では5か所確認できた。
前期は0であった「西中国山地国定公園」の言葉も記載があった。地域の自然や三段峡の価値を向上させるさんけんの取り組みの成果が表れとするのは我田引水だろうか。

怒鳴り込みにいっていっても、審議会で計画の不備をあげつらっっても、得られなかった成果だと思う。建設的な意見もさんけんだけで考えたとしたら説得力も多様性も生まれなかっただろう。

「よい町にしたい」「町を無くしてはいけない」そんな想い持った、町民や行政担当者と話し合い、意見を紡いで言葉にしていくのが大きなチカラになる。そんなことを思いながら最後の審議会に参加した。